工房について


職業訓練校


会社を辞めて木工職人になりたいと思い始めてから、職業訓練校をいくつも調べました。
問題は当時36歳という年齢であったため、既に年齢制限に引っかかっていたことです。
また、木工科がない訓練校もありましたので、選択肢はあまり多いとは言えませんでした。
会社を辞めるだけでもものすごい環境の変化です。
その上、知らない地方に引っ越すのは家族にもストレスがかかると思い、
関東近郊の訓練校に絞り込みました。

「なんだこのオッサン?」という視線の中、見学もしたっけ。
品川技術専門校の年齢制限は“おおむね30歳”と書いてありました。

「あの~。おおむねというのはどれくらいなんでしょうか?」

「5歳です」

「・・・・」

ということは年齢制限35歳。既にオーバーじゃないか。
でも、過去には50歳近い方もいらしたそうで、ようはヤル気の問題だと言われました。

在職中でも試験を受けられることを知り、今しかない!と踏ん切りをつけたのです。
受かったら会社を辞めよう。受からなかったらサラリーマンを続けて
また来年受けよう!と決め、試験当日は“風邪”で会社を休みました。

 

工房

試験は、中学卒業程度の数学と国語。
後は、面接。
その面接の席で椅子の脚の組み立てをさせられました。

見事に間違えた・・・

そして3月、ヤル気を認めていただけたのか
品川技術専門校にめでたく合格したわけです。
開いた口がふさがらない上司に頭を下げ、急いで退職届けを出し、
社宅を出て、新しい人生がスタートしました。

入学するともちろん最年長。
僕よりも若い先生もいらっしゃいました。
一番若い子は18歳。年の功で“組長”に選ばれてしまいました。
(クラス委員ですよ)

教科書です。

授業は大きく分けて教室での座学(着席しての普通の授業)と
加工室での実技の二つがありました。
1年間の前半はこの座学と実技が半々程度でしたが、
後半はほとんど実技となり、一日中作業着で過ごしました。

主な座学の授業は、木工製図、木材製品、生産工学、
材料、加工工作法など。
この他にも機械器工具調整など、手道具の仕込みや
機械のメンテナンスなどの授業もありました。

時間割に書かれた“体育”の文字に「体が動かない~」と
怯えていましたが、蓋を開けてみると、授業内容はクラスで
決めるという不思議な時間でした。その結果、
“三浦半島で地引網”、“ズーラシアでオカピを見よう!ツアー”など、
違う意味で体力は使いましたが、楽しい思い出ができました。

でも、大学を卒業して13年。久しぶりの授業は集中力が必要でした。
朝5時半に起きて通っていたため、前から2番目の席で
ゆらゆら揺れていたことも・・・

工房

工房 工房 工房

左から:鉋の台掘りの実演、木工機械室、“体育”の授業

余談ですが・・・
入学してすぐに朝日新聞に載りました。
すごいタイトルでしょ? すごいアップでしょ?
真横にカメラマンがいたため、この時の切り口はひどいものでした。

夕刊だったのですが、サラリーマン時代の友人知人、親戚などから
電話やメールで励ましの声をたくさんいただきました。
安定した職を捨て、みんなに心配をかけていただけに
がんばっている姿を見せられてよかったです。

職業訓練校

夏休み

職業訓練校は週休二日制、祝日もお休みです。そのほかにも夏休みと冬休みがあります!
ただし、普通の学校のように一ヵ月半ではなく、二週間ですが・・・
それでも13年間のサラリーマン生活のあと、「夏期休暇」ではなく、「夏休み」をとるというだけで
もうワクワクものでした。

品川訓練校では、毎年夏休みに、講師の先生のご好意で有志を募り、家具ツアーをやってくださっていました。
僕らも10人弱で行ってきました三泊四日(車中二泊 T T)東北曲がり物ツアー。
この業界では有名なところなのですが、ひとつは成型合板(薄板を型にはめて曲面を作る。
椅子でよく見られる。)の雄、山形の天童木工もうひとつは昔ながらの手作業での曲げ木を行っている秋田の秋田木工。
どちらも講師の先生の個人的なコネで見学をさせていただきました。

 

   職業訓練校    職業訓練校


天童木工は郊外の近代的な工場で熱や高周波を使って大型機械でプレス、
成型合板を使った椅子を主に大量生産しており、どんな曲面でもいとも簡単に作ってしまいます。

これに対して、秋田木工は昔ながらの人力。 一辺5センチはあるブナの角材を
まず蒸し器に入れて高温で蒸します。
それを出すや否や、これぞ「職人」という感じの人が、型をはめて「エイヤッ!」と
グニャリと丸く曲げてしまうのです。
正真正銘、文字どうり「アメのように」です。
この驚きは実際に見てみないとわかりませんが、とにかくすごかった。

職業訓練校     職業訓練校

さて、いくらこんな家具好き集団でもせっかくの大旅行、
このまま帰るのももったいないと、きっちりと観光もしてきました。
山形の有名な山寺を、何千段だったか、山の上にある本尊まで
大汗かいて登ってきました。それでも大自然の森の中だと、
少しの風さえあれば、木陰のなんと涼しく心地よいこと・・・
おまけで川原で水遊びもして十分リフレッシュして帰途につきました

それにしてもこんなに楽しかった旅行は久々でした。
ずいぶんと年も違う混成部隊でしたが、気の置けないいい連中だったので
こちらも歳はすっかり忘れ、サークルの旅行のような気分でした。
(おかげで唯一の旅館泊の夜の宴会ではかなり暴れたみたいです。)

学校で作った作品


学校に入って最初に作った物は椅子の脚の片面みたいなものでした。
もちろん、その前には各人に貸与された手工具の数々の名前から使い方
その調整の仕方を習い、それらの手工具を使った基本的な加工の練習
(鋸、鉋、鑿、毛引き、スコヤなどなど)と平行しての製作でした。
写真は、その後、卒業までに作った主な家具たち(?)です。 少しずつ上達はしているでしょう?

     

左は今時・・・フロッピーディスク入れ(カリキュラム古過ぎ!)。
箱の四方の角の接合のあられ組み、あり組みなどの勉強でした。

右は、かなり頑丈なスツール。塗装は塗装科の生徒たちの練習台となりました。
「色がダサイ」と我が家の塗装担当重役には不評です・・・

     

毛引きで失敗した跡が~~~。
いやいやこれは失敗した際のリカバリーの仕方の練習です。
MD入れにはちょっと大きいかな?

     

小抽斗(こひきだし)です。
これも塗装科の生徒たちが行いましたが、引き出しを落とされたらしく 角がへこんでた!
これには僕もへこみました。TT
ただの引き出しとあなどることなかれ!
すべて手加工であることはもちろん、「こんなことまでしなくても・・」というような
手の込んだ加工が見えないところ随所で使われています。
まあ、そもそも、それらの加工の練習のためのものなのですが、
なんと製作期間、たしか3ヶ月くらいの大作(!?)です。

時価60万円はくだらない高級家具です。

     

フラッシュ構造(骨組みの上にベニアを貼って作る構造)の練習用の飾り棚です。
下の引き出しを職人芸であまりにもぴったりと作ってしまい、
雨の日に引き出せなくなりました。TT

後日、削り直しました。


    

これもフラッシュ構造を取り入れた、卒業製作の食器棚です。
わが班の仲間たちには本人未承諾出演なので、黒い目線を入れようかと
思いましたが入れたら、こわい写真になったので顔出し出演です。
これらの作品はみな、手で、製図台を使い、鉛筆で製図を引き、
それに基づいて製作します。
いまやCADなしではとても製図など書けなくなった自分が悲しいです。

    

これだけ時間をかけて作るとそれぞれにすごく思い入れがあり、
かわいい子供のような感じさえ抱いてしまう、ちょっと危ない関係でした。
だれかが何かをぶつけて傷でもつけようものなら大変な騒ぎです。

当初はスツールなのに座るのさえはばかられるほどでした。
(強度に自身がなかった・・・という話もある。・・・)

    

最後の作品。

とても繊細な「寄せ貼り」という技法を使ったスツールです。
無垢の木をうす~くうす~く削った厚さ0.3mmくらいの「単板」と呼ばれる
シートを柄に合わせて切り、それをぴったりと合わせながら貼る
とても根気のいる作業でした。図柄は各自好きなように
とのことだったので私のは星条旗風。

ちなみに、脚の部分は、「技能照査」と呼ばれる卒業試験での製作。
ちょっと気を許すとパリパリと割れてしまう薄い木に苦悩したあと、
右の写真ではラッカーを「タンポ摺り」という技法で手で何十回と塗り重ねてている様。
この星条旗デザインは好評で、シリーズとしていろいろ作ってという
リクエストがあるのですが、あの時の苦労を考えると・・・

以上、職業訓練校についての大まかな説明でした。
また思い出したことなどがありましたら書き加えるかも知れませんが
とりあえずはここで

お・し・ま・い